ぬまぞこ思考ログ(極めて浅い)

ぬまぞこ思考ログ(極めて浅い)

狭く浅い知識と少ない語彙で書き連ねる思考ログ

正解も不正解もないってわかってるけど正解を探しがち

子供の頃にドラマを見ていてありがちな、立てこもり犯を主人公の刑事が説得するシーン。

人質に凶器を突き付けた犯人が刑事に対して「うるさい!お前なんかに俺の気持ちが分かるもんか!」って怒鳴る場面、よくありますよね。というか毎回ある気がする。

 

ある時見たドラマAでは犯人に対して刑事は「分かるさ!俺も実は昔にこんなことがあって云々…」と犯人に似た自分の境遇を話し出して犯人が感動、最後は自首して円満解決する一方で、別のドラマBでは「お前の気持なんか分からないさ!分からないが俺は云々…」と自分の持論を展開する刑事の言葉に犯人の心が動かされて結局自首して解決。

昔から私はこれが気になって仕方がない。

 

ドラマAの場合、犯人の深層心理には自分一人がこんなに辛い思いをしてるとか悲惨な過去を持ってるとか理解してもらえないとか、そんな感情があるから自分と似た境遇の刑事の言葉に心が動いて自首したのであって、もしここで「お前の気持ちなんか分からない!」などと答えていたらきっと刑事も人質も殺される結末になっていたはずで、逆にドラマBの犯人は綺麗事にうんざりしてて本音でぶつかってくる相手を求めていたからこそ敢えて犯人に共感をしなかった刑事に感動したのだと思う。

もちろん全部勝手な深読みでしかないんですけど。

こんな感じで私は昔からドラマを見ているとどうしても考えてしまう。 

自分が同じ状況だったらこの刑事のように正解の台詞を言えるか?

 

昔から国語が好きで、特に読書感想文書くのは割と得意だった。

 本を読むのが好きってのもあったけど、「こういうこと書けば先生に喜ばれるだろう」って内容を取り繕うのが得意だった。考えてみるといつもそうやって文章を書いてた。

だけど結局のところそんな思考が通用するのは中高までで、大人になったら表面だけ取り繕ったその場凌ぎの文章や思考ではやっていけなくなると思う。

 

お陰様で、すっかりいい歳になったわたしは自分の意見を持てない発信できない行動できない空っぽな人間になってしまった。

当然ながら人間関係も不得意。特に団体行動は嫌い。

おまけに自意識ばかりが高くて自己評価はとんでもなく低い。

 

それは仕事においても同様で。

わたしの中では円滑に物事を進めることがとても重要で、自分に自信もないのでなるべく相手に合わせようとするし、(これは違うんじゃないか…)と思ってもあまり意見を言えないタイプだ。

協調性はあるけど主体性はない。

でもそれ自体は決して悪い訳じゃないとは思ってる。

仕事をする上で自分のような人間は必要だとも思う。

だって皆がみんな自分の意見を押し通そうとする人だったら何も上手くいかないもの。

 

だけど

それにしたって

主体性が無さすぎる!

 

誰かと話す時は相手にどう思われるか、不快にさせないかを考えてしまって自分の伝えたい内容を伝えられない時も多いし、自分の発言や判断、行動は果たして『正解』なのか、自分は自分の発言に最後まで責任を持てるのか、そこまで考えてしまってちょっとしたことでも自分で判断を付けることがストレスになる。

だから余計に自分の意見が言えなくて結局誰かの指示に従う責任逃れの日々。

 

でもわたしは決して感情のないロボットじゃない。

いつもいつも結局どこにも吐き出せずに終わった言葉や思いが自分の中にヘドロみたいに溜まってる気がする。それなのにどうやっても吐き出せない。

 

世の中には正解も不正解もないし白と黒で分けられないものだらけだってことは重々承知で、正解の行動を探したところで無駄でしかない。

ましてやドラマの世界を自分に置き換えて正解の台詞を考えてる時点で根本的にずれている。

どうせすべての人に好かれることなんて出来ないんだから、だったら最初から他人ばかり気にしないで自分の思ったことを発信したりやりたいことをするべきだって、頭ではわかってるんだけどなぁ。 

 

最近特に自分のこういう面倒な思考が嫌で仕方なくて、自己嫌悪に圧し潰されて死んでしまいそうです。

 

昨日寝る寸前にふと「2019年は自分の事をもっと好きになってあげたいな」って考えたら、自分に好かれてない自分がなんだか可哀相すぎてちょっと泣いた。